トランス・サイエンス(科学を超えた問題)とは何か?

今日は、私の勤務する真和中学・高等学校は、終業式です。
真和高校2年生の学年通信に記事を書かせていただいたので、ご紹介します。


トランス・サイエンス(科学を超えた問題)とは何か?       北田 薫

現在、福島原発の事故をひとつのきっかけとして、世界の多くの人たちが、社会の中での科学技術のあり方について喧々諤々と議論しています。科学技術は、私たちの生活を豊かにしてくれるけれども、今回のような難しい事態をひきおこすこともあります。私たちは、学校の理科で科学の結果としての知識は学ぶけれども、科学とはどのようなものであるか(科学の科学)や、科学の限界・適用範囲、科学の知識が科学技術(テクノロジー)となりどのようなプロセスで生活の中に浸透していくのか、などについて学ぶことは少ないです。
 アメリカの物理学者A・ワインバーグは、1972年の論文で、科学技術のもたらす問題の中には、もはや科学だけでは解決できないものが増えており、そういった問題の解決には、科学を超えた次元での民主的な議論が必要であることを提言しました。そして、「科学に問うことはできるが、科学だけでは答えることができない問題群」をトランス・サイエンス(科学を超えた問題)の領域と呼び、そのような領域では科学者はより慎重な発言が求められる、と述べています。トランス・サイエンティフィックな問題の例として原子力発電所の事故の確率の問題、低レベル放射線障害の生物学的影響等を挙げ、その不確実性の高さや生物学的実験の限界(95%の信頼性がある実験を行うには80億匹のマウスを必要とする事例など)に触れ、科学だけでは答えを出すことが不可能であることを述べています。すなわち、トランス・サイエンスとは、科学と政治の中間に位置する領域であるのです。
民主主義の伝統の弱い日本では、これまで科学技術の問題を専門家や行政に任せておけばよいという考えが強かったと思われますが、今後は、民主的な議論によって問題を解決していく必要があるのではないでしょうか。私は、このような科学と社会の問題について、科学教育の立場から研究を進めています。

論文を書きました「組換えDNA論争史に学ぶSTS教育」

‎2009年に行った授業実践が論文になりました。教育の論文ですが,科学コミュニケーション,科学技術社会論科学史の分野と交錯する内容です。構想3ケ月で行った授業で,いろいろと不備があるのですが,今後改良して高校向けのものを作ろうと考えています。

http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/44877/1/Kitada.2..pdf

「科学教育と科学論」再考

9月11〜12日に広島大学で行われた日本科学教育学会において
自主課題研究のセッションを企画し,無事終了することができました.

朝一番のセッションにもかかわらず,多くの方の参加をいただき,議論も盛り上がりました.
参加してくださった皆様,企画を実現させてくださった学会関係者の皆様に深謝申し上げます.
 
セッション名
「科学教育と科学論」再考:科学史STS科学リテラシー <オーガナイザー>
河野俊哉(暁星学園東京大学大学院、法政大学・聖心女子大学青山学院女子短期大学)・北田薫(北海道大学大学院・札幌龍谷学園高等学校) <会場>
H会場(2階K203教室) <概要>
 「科学(の理論体系)を学ぶ」だけでなく、「科学(そのもの)について学ぶ」視点の重要性を認識している研究者・教育者は潜在的にはかなりの数を占めることが想定される。後者は、古典的には科学史、科学哲学等、そして近年ではSTSを含めた科学論との学際領域だと言えよう。しかし、学際領域だけに種々の困難さが付きまとうのも事実である。本セッションでは、前述の課題に長年取り組んできたメンバーが、「理科離れ」、「リスク社会」、「環境問題」等を踏まえながら、科学リテラシーPISAテスト、教養教育等の観点から再考し、参加者と共に議論を深めた上で新たな提言を行いたいと考えている。 <発表者>
(1)八巻俊憲(福島県立田村高等学校・東京工業大学大学院):理科教師にとっての自己改善としてのSTS−STSを学ぶことによって見えてくるもの−
(2)北田薫(北海道大学教育学院): STS教育の歴史的アプローチの検討―リスク社会における科学リテラシー育成の視点から―
(3)山田俊弘(千葉県立幕張総合高等学校茨城大学):「理科基礎」と「自然科学史」の間――2つの《現場》から考える――
(4)河野俊哉(暁星学園東京大学大学院、法政大学・聖心女子大学青山学院女子短期大学):科学リテラシーの観点から「科学教育と科学史」を再考する――中等教育と高等教育の事例をもとに――
(5)藤岡達也(上越教育大学大学院):持続可能な社会の構築とSTS教育への期待<指定討論者>
小川正賢(東京理科大学

米本昌平『知政学のすすめ』を読む

生命倫理生命科学史、地球温暖化問題では定評のある米本昌平氏の『知政学のすすめ』を読む。副題は、〜科学技術文明の読みとき〜 
知識基盤社会と言われる現代では、これまで政治から距離をおくことがアカデミズム世界では崇高とされてきたその常識が覆されていることを示してくれる本だ。(日本の)官僚依存型の政治から脱却し、アカデミズムの解体と再編を説く。

そして最後の結びでは、科学技術が宗教等の価値体系と切り離され中立とされてきた19世紀後半〜20世紀の世界から一転して、21世紀はその両者が再び結びつき18世紀〜19世紀に似た世界になるであろうことを論じている。

そういうわけで、いずれにしても科学・技術・社会に関係する知識は大事だなーーーーーーーーー。知識はアカデミズムだけに任しておけない。市民も持つべし。

知政学のすすめ―科学技術文明の読みとき (中公叢書)

知政学のすすめ―科学技術文明の読みとき (中公叢書)

青いカーネーション

kaorin7772010-03-18

先日(3月13日)、恩師のご退職による最終講義を聴くために、熊本大学理学部に行ってきました。
植物細胞遺伝学がご専門の先生と、植物色素がご専門の先生のお二人がご退職ということで、お祝いのお花が届いていました。
それはなんと、サントリー様からの遺伝子組換えで作られた青いバラと青いカーネーションでした。
これまでネット上のいろいろな画像で拝見していましたが、生で見るのは初めてでした。
青いカーネーションを1本、いただいてきました。

日本型テクノロジー・アセスメントはいかにあるべきか?

を考えさせられた1日だった。
2日前になってしまったが、3月9日のこと。

国際文化会館で、公開シンポジウム「科学技術プロセスのオープン化--テクノロジーアセスメント(TA)の新たな潮流とわが国での制度化」が行われたので、札幌から遠征参加を果たした。
http://i2ta.org/news/i2ta/i2ta-symposium.html

アメリカとヨーロッパで経験したTAの制度化について、アメリカとイギリスからゲストを招いての講演会とシンポジウムがあった。

不確実性の高い先端技術をリスクとベネフィットの両方の視点で評価し、社会のための、社会の中での科学技術として扱うという取り組みは、一考に値するのは確かだ。しかし、不確実性が高く、利害関係も絡みやすい新しい技術評価の問題を、どう透明化し、国民の納得のいくカタチでガバナンスできるのか? そのシステム作りが問われている、というところだろうか。

早く具体的な日本での方向性が出てくるといいなぁ、、、と思いつつ、会場を後にすることになった。